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2025年下半期記事まとめ

報告者・論題は氏戸佳香氏「那古野今川氏と伊勢今川氏の興亡」である。那古野今川氏とは、尾張国愛知郡那古野荘(愛知県名古屋市)を本貫とする今川氏の一族で、今川氏豊の存在が著名である。
本報告では、①未紹介の史料をもとにした史実の復元と先行研究の補足、②那古野今川氏の没落期に登場する尾張守護の今川氏、③伊勢今川氏(今川名越氏)と那古野今川氏との関係、の三点について検討している。
報告者の氏戸氏は以前から那古野今川氏について研究しており、『那古野今川氏の興亡』(白天堂、二〇二五年)という単著を著している。歴史学研究は緻密な基礎的事実の積み重ねのうえに成り立つものである。こうした基礎研究を疎かにしてはならないだろう。

報告者・論題は森脇崇文氏「三好三人衆小考~研究の現状と新出史料の紹介~」である。
三好三人衆とは、三好長慶死後に当主となった三好義継を支えた三好長逸・三好宗渭・石成友通の総称である。従来、三好三人衆の結成は永禄八年(一五六五)で、目的は実権を握った松永久秀への対抗とされてきた。しかし、本報告で紹介された新出史料により、永禄五年以前にすでに一つの集団として認識されており、長慶の嫡男・三好義興を支えることを目的として成立したということが明らかになった。つまり、長慶生前時においてすでに三人衆が主流派となっていたのである。
これも、一位の報告と同様に個別事例を確定させていくものである。戦国史研究においては、とくに西国の史料はいまだ蒐集されておらず、近世の史料に写として残っているものが今後も見つかる可能性が大いに考えられる。基礎研究の前提には、発給・受給文書の蒐集が重要であることをあらためて認識させる報告であった。

ここでは三つの報告が行われた。報告者・論題は以下のとおりである。
一は、これまで後鳥羽院の北面の武士・西面の武士を同一視されてきたことに対して批判した報告である。前者は警察権を有しながらも基本的に芸能面を重視した組織であり、後者は軍事面を全面的に押し出している組織であり、性格が異なっていたということである。
二は、鎌倉公方段階と古河公方段階で軍事動員の方法が変化していることを指摘した報告である。この変化は、享徳の乱によって関東足利氏が権門から領域権力へと変化したことにともなったものであるが、古河公方の軍事動員が領域権力のそれと同質であるということは、古河公方そのものが国衆論から説明できることを示唆している。この点は今後の課題といえるだろう。
三は、豊臣政権の天下一統政策のなかで、西国の諸大名との取次を担った毛利氏と、九州国衆との関係を論じたものである。これまでの研究では、永禄一二年以前の関係を前提として毛利氏の取次を論じてきた。しかし、これでは永禄一二年から天正一四年(一五八六)までの関係を無視しているという問題があり、そこに注目した報告であった。全体としては、東国で研究史の厚い国衆論を西国に適用できることを示した報告といえるだろう。

報告者・論題は栗原隼人氏「戦国期大内氏権力と官位(朝廷権威)の関係」である。戦国時代の地域権力に対する見方は、大きく分けて戦国大名論と戦国期守護論に分けることができるが、近年では前者が有力となっている。しかし、前者に立つ論者でも、大内氏については例外的に戦国期守護論が適用されると評価する人も一定数存在するのが現状である。
これに対し、栗原氏は卒業論文から大内氏へのこれまでの評価を痛烈に批判し、大内氏権力も戦国大名論から説明できることを主張している。本報告もこの目的に沿ったものであり、戦国期守護論が重要視している守護職のほかに、朝廷から与えられる官位の影響をどこまで認められるかを論じた報告であった。

この例会では報告が二つあった。以下のとおりである。
一は、戦国時代の足利将軍家と赤松氏との関係を論じた報告である。四位のところで記したように、これまで戦国時代における地域権力の権威面は守護職や官位に注目されることが多かった。しかし、室町幕府の役職は守護だけではなく、管領・侍所などさまざま存在する。この報告では、赤松氏が四職(侍所所司になる家)であるという点に注目して論じられていた。これは、戦国時代の室町幕府のあり方をさまざまな役職から考えるとともに、地域権力の見方についても一石を投じる興味深い論考であった。
二は、中国地方の戦国史を考えるうえでこれまで使用されてきた「中国兵乱記」の史料的価値を論じたものである。「中国兵乱記」は、元和元年(一六一五)に成立したとされていることから、戦国時代を実際に生きた人が書いているという点で価値が高いとされてきた史料であった。しかし、本報告の検討によって、実際には一七世紀後半に成立したものであることが明らかになったのである。史料批判の大切さをあらためて実感した報告であった。
六位から一〇位には、武田氏関係や新出史料の記事、それから珍しく文化史に関する内容などがランクインした。一位から含めて、全体的に学会評が多かったが、一〇位には展覧会評も入っていた。
最後に、惜しくもランク外となってしまったが、今年あらためて注目しておきたい記事を二つ紹介しておきたい。

戦国史研究は、おもに政治史研究を中心に行われているが、社会・経済史の観点から戦国時代を論じているのが本書である。現状の戦国史研究の課題としては、主流である政治史研究と、このような社会・経済史研究がなかなか連動しないことがあげられる。これは文化史についても同様であり、六位であげた報告ではそうした課題を解消しようとするものであった。
とくに、豊臣期から江戸時代初期に関しては、千利休や後藤庄三郎など、商人でありながら天下人の側近を務めている人物が一定数存在する。つまり、この時期の政権構造を考えるうえでは、政治史研究だけではなく社会・経済史や文化史も含めて検討する必要があるのであり、今後研究していくべき内容といえるだろう。

読者のなかにはお忘れの方もいらっしゃるかもしれないが、ゆまにすとは歴史系に特化したコンテンツではなく、広く人文学・社会科学を扱うコンテンツである。この記事は、社会科学系を取り上げた内容となっている。
戦後の日本は「一億総中流」といわれる社会となっていた。しかし、一九七〇年代以降は格差が拡大する傾向になっており、階級間の社会移動がほぼ不可能な社会になってしまったということである。さらに、中流が政治参加する際に右翼・保守・リベラルの三つに分類できるとしており、近年では右翼と保守が協力関係となって自民党が中流右翼に近づいていると指摘している。
これに対して、南後氏はコロナ禍による影響を加えて再考している。つまり、コロナ禍以降、中流右翼は参政党や日本保守党を支持するようになっており、自民党と中流右翼は必ずしも近づいていないのではないか、またその結果、自民党の支持率が下がっているのではないかと考察している。
個人的には、この件は注目している主体が違うだけで両立しうるものであると考える。すなわち、自民党は中流右翼に接近しようとしてさまざまな言説や政策を展開している。一方、そうした言説・政策は中流右翼にはウケておらず、彼らは自民党から離れて参政党・日本保守党支持に回っているという構図である。
しかし、そもそも日本の政治形態は政党政治である。仮に参政党などの支持者が自民党に期待をしなくなったとしても、自民党と参政党などが連立したら変わらないのである。
2025年下半期記事まとめ
二〇二六年一月九日 初版発行
https://humaniste.jp/blog/29swu10fyxe
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